本日締切の『立教大学21世紀社会デザイン研究』への投稿原稿を今書き上げました。
その一部を抜粋します。
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タイトル:伝統的な管理論と官僚制の意義と効用
 
目次:1.ファヨールの管理の定義と管理原則/2.目標管理論の問題点/3.官僚制とアンチ官僚制論の問題点/4.官僚制だけが業務の高度化と公平要求に対応できる/5.公平を要求する大衆が官僚制を生む/6.リーダーの最大の役割は想定外の事態に対応すること
 
(序文)
 私は、人を規則と命令で動かす管理も官僚制も大嫌いである。結果、ある急成長をしている中堅商社で取締役管理本部長として官僚制をベースとする管理の徹底的な強化を推進した後、41歳の時に、フリーのコンサルタントとして独立し、組織の一員として部下に命令をすることも、上司に命令されることもない立場で仕事をしてきた。
しかし、それは個人的な好みにすぎず、管理や官僚制を「けしからん」と批判しないし、管理する人や管理される人を愚弄することもない。それどころか、管理と官僚制の社会的な意義と効用を高く評価し、管理する人にも管理される人にも敬意を払ってきた。それに、管理がしっかりとしていないと、会社に限らず、どんな組織もデタラメ化、ひいては不祥事連発で崩壊する。 
こういった経験と考えにより、中堅商社で蓄積したノウハウをもとに、管理水準を向上させるため、また、官僚制を効果的に運用するためのコンサルティングや研修に励んできた。それは管理と官僚制のメリットとデメリットを理解し、メリットを生かし、デメリットを抑えることを目的とするものである。こういった考えと、これまでにえた知見をもとに、管理や官僚制のデメリットのみを強調し、管理や官僚制の意義を否定し、組織メンバーへの心情的な配慮や管理からの解放を唱えるマネジメント論やリーダーシップ論の問題点を指摘し、伝統的な管理論と官僚制の意義と効用を論じよう。
 
1.ファヨールの管理の定義と管理原則
 
なにはともあれ、管理とは何かをはっきりさせなければならない。それをしたのはフラ
ンスの鉱山経営者、アンリー・ファヨールであり、『産業ならびに一般の管理』1916年で次のとおり定義した。
管理とは、人間の行動を計画し、組織し、指揮し、調整し、統制すること。
さらに、それぞれの構成要素を次のとおり定義した。
・計画:将来を予想し、予算と行動予定を作ること。
・組織:事業の物的及び人的な構造を作ること。
・指揮:各人が、自分に課せられた役割を果たすよう配慮すること。
・調整:すべての活動を結合し、統一し、調和させること。
・統制:すべての活動が規則や命令に従って行われるよう監督すること。
ちなみに、その管理の定義を簡略化したのがマネジメント・サイクルと呼ばれるPDCAサイクル(プラン→ドゥ→チェック→アクト)である。また、ファヨールは13の管理原則を提示し、今日も「組織原則」と呼ばれて通用しているが、つぎの3つが特に重要である。
・命令一元性の原則:命令は直属の上司から行う。
・権限委譲の原則  :手段方法を決める権限はできるだけ部下に委譲する。
・責任絶対性の原則:部下の管理責任をもち、部下の行動の結果責任を負う。
これらにしたがうと、模範的な命令は次のようになる。「この仕事を君にまかせる。責任は私がとるから、いいと思う方法で存分にやってくれ」。ファヨールに代表される伝統的な管理論を、部下に権限を委譲しない硬直的なものであるかのように決めつけ、権限を委譲することが新しい考えであるかのように強調するリーダーシップ論やマネジメント論の論者は、古くからの考えを新しい考えと主張するペテン師か、代表的な理論すら知らないしろうである。
 
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ちなみに、マネジメントはドラッカーが発明したもので管理ではないといった趣旨の主張をする者がいるが、彼らは、ファヨールなどの伝統的な管理論を知らず、ドラッカーがマネジメントについて論じるまでは、部下に事細かく指示をし、その実行を厳重に監督する専制的な管理論しかなかったと思い込んでいるのである。
 
2.目標管理論の問題点
 
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 このように、非現実的で、使い物にならない理論であるが、1990年代から、目標管理論をベースとする成果主義が、日本の多くの企業に導入された。非現実的な理論を導入したのであるから結果は悲惨である。これまでの実績よりはるかに高い目標へのチャレンジをあおることで、目標未達の連続により無力感にとらわれ、負け犬根性になり、がんばればできることもやらなくなるサラリーマンや、目標を低く抑えるために、そのもとになる実績を低くおさえるためにわざと怠けるサラリーマンが続出した。
 
3.官僚制とアンチ官僚制論の問題点
 
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そこで、いろんな仕事の分担、処理、指示・報告の方法・流れが決められ、それぞれの部門の活動を指揮統制するリーダーが必要となり、会社は、小集団から、規則と命令で運用される官僚制を使った縦割り組織に変身する。しかし、それは、次のようにネーミングできる症状から構成される大企業病とか官僚化と呼ばれる「官僚制の逆機能」を生む。
a何でも規則病:規則を杓子定規に守ることに専念し、臨機応変な対応や規則にないことをやろうとしない(専門用語で「規則への過同調」)。
b何でも完全病:何事も完全にしょうとして、ささいなことにも大げさに対処し、難しく失敗の可能性のあることをやらない(完全主義)。
c何でも秘密病:自分がやっている仕事の方法、状況を明かさず、悪い情報も良い情報も報告しないで、聞かれたことにだけ答える(秘密主義)。
d何でも反対病:新しいテ-マへの取組みや従来の方法の変更にことごとく反対し、表向きは賛成しても実際には骨抜きにする(総論賛成・各論反対)。
eセクショナリズム:自分の部門の権力の維持強化を追求する。
 そこに、規則、管理、縦割り組織などを批判するアンチ官僚制論が喧伝される。その代表が、世界的なベストセラーとなったトーマス・ピーターズとロバート・ウォーターマンの『エクセレントカンパニー』1983年である。彼らは次のように論じた。
 
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ここでピーターズたちが強調する価値観は「品質第一、顧客第一といった徹底した現実主義」と「何らかの分野でナンバーワンになる」である。しかし、その程度で、何が問題かを確実に予想し、臨機応変な活動を展開でき、大もうけできれば、日本企業の多くが高収益企業になるであろう。また「会社としての特有の価値観の厳守、規律化の追求」は、官僚制を批判しながら、官僚制に解決策を求めていることになる。何よりも、顧客第一をいかに実行していくかは各人各様であり、リーダーがどうするかを決めないと支離滅裂な状態になる。
 
4.官僚制だけが業務の高度化と公平要求に対応できる
 
官僚制は大企業病を生むやっかいな制度だが、それでも、どの組織でも用いられ、アンチ官僚制論は、ベストセラーになることはあっても、それが実行されることはない。その理由を組織のトップやメンバーの意識の低さに求め、批判する論者が目立つが、それは、官僚制の理論も意義も知らない素人の戯言にすぎない。
官僚制の意義について、今から100年前に、社会学の巨星、ドイツのマックス・ウェーバーは、『支配の社会学』1920年で、「官僚制こそが日常的な業務の質量の高度化、増大に対処でき、行政面での卓越した純技術的優秀性を発揮できる制度である」と指摘した。その理由として、官僚制がもつ次の6つの特質と効用をあげた。
 
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5.公平を要求する大衆が官僚制を生む
 
ウェーバーは、概略、次のように論じた。 
・自発的な服従を得るためには、物質的・精神的な利害といった誘因も必要だが、それ以前に、服従する側が支配を正当なものと認める「正当性の信念」をもつことが決定的に重要である。それにより命令は権威あるものとなる。   
・権威ある命令は、物質的・精神的な利害だけで従わせようとする命令より、はるかに安定した服従、支配を可能とする。なぜなら、物質的・精神的な利害の魅力や脅威は人によって異なるし、その時々の心情や状況によっても異なる不安定なものだからである。
 
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そして、大衆が公平を要求する近代社会では、その力が「伝統に対する第一級の革命力」として作用し、官僚制による合法的支配が確立するのである。ようは、大衆が、公平を掲げて伝統的支配をぶちこわし、官僚制による合法的支配を生むのである。これは、人によって異なり、日によって異なる心情要素で部下を動かそうとする目標管理をコアとするマネジメント論は、不公平ひどくし、部下のやる気をなくし、反感を生む考えであることも意味する。
官僚制が公平ニーズにマッチし、国でも、会社でも、現場でも安定した支配を可能とするといっても、そのベースとなる規則の体系を、あらゆる事態を想定した完全なものにはできない。しかも、新しい変化や想定外の危機などへの対応には無力である。なによりも、公平絶対、規則第一をモットーとする非情な非人間的制度である。ここに、「規則がなんだ。俺についてこい」と言う人間が出現し、支持される。すなわち、「カリスマ登場!」である。
 カリスマは、既成の秩序、価値観の変革者。その卓越した資質、見識、行動、実績などに人々が畏怖の念を抱き、服従する存在である。ウェーバーも、大衆は心情的反発をふくらませ、エトス(「根源的な感情」といったような意味)にかられて官僚制をつぶし、カリスマ出現となる可能性を強調している。
 しかし、カリスマは神様ではなく、しょせんは人間である。つまるところ、でたらめ量産、不公平乱発となり、「やっぱり規則をしっかり突くって守ってもらわないとね」となり「官僚支配復活!」というのがウェーバーの結論である。
 「縦割り組織をばらせ」とか「規則にこだわるな」と言うのは「官僚制をつぶせ」と同じ意味合いを持つが、それは不公平、不安定、さらなる非効率を生み、国であれ、会社であれ、大混乱をもたらす危険な考えである。
 
6.リーダーの最大の役割は想定外の事態に対応すること
 
公平をむねとする官僚制の最大の弱点は、規則によって運用されるため、何でも規則病を生み、また新しい変化や想定外の事態への対応には無力なことである。その弱点をカバースルには、想定外の事態に対し、リーダーが何をすべきか決定し、部下を指揮統制していくことが必要であり、またそういった権限が与えられ、活用されなければならない。
もし、そういった権限があたえられておらず、マニュアルと上司に判断を仰がなければならないなら、リーダーには責任がなく、上司の判断に従っていればいいだけだから、気楽である。しかし、そういった組織、特に会社やNPOは、想定外の事態への対応ができず、つぶれてしまう。
 
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想定外の事態に直面したリーダーは、規則第一の官僚から、「俺が規則だ」というカリスマに瞬時に変身することが要求されるのである。
 この場合、真っ先に捨てなければならないのは完全主義である。そして、アメリカ陸軍が、想定外が当たり前の戦場で指揮官に要求するのと同じように、「不完全な情報しかなくても、素早く判断する」、「完全な解決にこだわって、決定を遅らせない」ようにしなければならない。
 当然、これは、大きな判断ミスをし、大きな損失をこうむるリスクをはらむ。しかし、それを気にして、情報の収集分析にこだわれば、対策がことごとく後手に回って、さらに大きな損失をこうむることになる。大事なことは、判断し、それに従って部下を動かしながら、間違いの早期発見につとめ、まずいと思えば、ただちに判断を変えることである。
 
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「どんな時もいくつかの案を考え選択せよ」というマネジメント論があるが、判断を遅らせ、取り返しのつかない事態を招く危険を大きくする考えである。