3章 タ-ゲットを追加する
1:タ-ゲットを期間ごとに変える
2:無風地帯の発見
3:多数乱戦マ-ケットを攻略する
4:外部資源の活用で勝負する
5:他で節約した費用を使ってもらう
6:危険な賭けをする
7:統計数字を真に受けないこと
8:10のチャレンジで1のチャンス
9:戦いは錯誤の連続
10:教訓

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3章 タ-ゲットを追加する


1:タ-ゲットを期間ごとに変える


 自衛隊の厚生旅行をタ-ゲットとする集客は、失敗の可能性が極めて高い試みであり、失敗した場合でも破綻しないだけの売上と利益を確保する備えが必要でした。また、ホテル再建のためには、さらに多くの平日集客をする必要があります。


 そこで、各旅行社をできるだけ訪問して宣伝につとめる一方で、公立小中高校の教職員のグル-プ旅行、平日に休むデパ-トや大型ス-パ-の会社や労働組合の旅行、老人クラブの慰安旅行、葬式のない友引の日のお寺の檀家旅行といった、平日のグル-プ・団体旅行の獲得も積極的に試みました。それは、一見すると、目標の原則に反しますが、次のようにタ-ゲットごとに期間を区切って試みました。

           主な旅行実施時期       主な受注活動時期

自衛隊の厚生旅行  :2、3月        →  10、11、12、1
教職員グル-プ   :冬休み、春休み、夏休み →  12、2、6、7月
老人クラブ・檀家旅行:5、6、9、10月   →  4、5、8、9月

  デパ-トや大型ス-パ-は少数なので、以上の活動に平行して受注活動を試みる。


その他にも、大学、大学生の合宿、様々な専門量販店・飲食チェ-ン、警察、消防、ロ-タリ-クラブなど、いろいろ考えられますが、そこまでは対応できないと判断し、口コミや広告などで引き合いのあったところ以外は捨てました。そして、それらや、一般の会社の慰安旅行、研修旅行、それに家族旅行などの獲得は、旅行社に頼りました。

 

2:無風地帯の発見


自衛官に次ぐ集客実績をあげたのは教職員グル-プでした。調べると、北海道の公立学校教職員は、自衛官とほぼ同数の5万名の大勢力で、やはり1~2万名が札幌在勤でした。そこで、タ-ゲットとしたのですが、魅力的な平日利用客であり、ライバルがS社だけであった自衛隊以上の激戦を覚悟しました。しかし、活動を開始すると、他のホテルの直接売り込みはなく、旅行社は修学旅行などの学校行事の旅行対応に集中しており、教職員グル-プ旅行の獲得を試みているところはないことが判明しました。激しい競争が繰り広げられている旅行業界に大きな無風地帯が存在したのです。


 教職員グル-プ旅行の獲得活動を開始した段階で、ライバルが存在しないことを知った私は、大変な幸運に感謝し、「自分の目で見なければ、本当のことはわからないものだ」と改めて思いました。そして、「学校を片端から訪問して職員室にいる教職員に宿泊優待券を渡し、1校あたり20分ほどで売り込みを完了し発注を待つ」という戦術を開発し、営業マンに実行させました。宿泊優待券といっても、さしたる割引率ではありませんでしたが、ある偶然から、「教職員は宿泊優待券に大きな魅力を感じる」ことを知ったからです。 

この活動は、なんの障害もなく順調に行きました。グル-プ旅行は、5~10名程度の規模ですが、「ホテルがわざわざやってきた」と歓迎してくれる教職員も多く、短時間で対応でき、一人の営業マンが1日に10数校を訪問できました。その副産物として、ふつうなら絶対に獲得できないはずの小学校の修学旅行まで、ひとつだけですが獲得しました。


3:多数乱戦マ-ケットを攻略する


 教職員マ-ケットは無競争、自衛隊マ-ケットは1社との対決でしたが、老人クラブマ-ケットは大変な多数乱戦状態でした。当時、札幌には200の老人クラブがあり、まず3つのクラブの会長宅を威力偵察発想で訪問しましたが、どこにも大量のホテルや旅行社のパンフレットやチラシがおかれ100社以上の競争が繰り広げられていました。


 多数乱戦状態ではいちいちライバルをマ-クできず、どこよりもアピ-ルするサ-ビスを開発するか、どこよりも安い価格にするか、その両方を実現するしか勝算はありません。顧客のところへ幾度も訪問し、人情に訴えるという方法もありますが、そんな手間ヒマのかかる集客をやるだけの人手も資金もありません。何よりも、そういったことで顧客を集めてゆく時間がありません。


 しかも老人クラブの旅行の宿泊価格は、激しい競争の結果、大変に安い相場が形成されており、どう考えてもそれ以下の価格では採算がとれません。しかも、ライバルの過半は洞爺、登別、定山渓といった有名温泉地の設備も整った有力ホテルのものでした。一方、私が関係したホテル、その地域では当時最も立派な建物と設備をもっていましたが、それら有力ホテルよりは設備が劣り、知名度もなく、眺めの良い大浴場はあったものの、温泉ではありませんでした。


「これでは勝負にならない」と思い、老人クラブ攻略は、いったんあきらめました。ただ、「旅行の途中に昼食でも利用してくれないかな」と思いつき、調理場のパ-トタイマ-の提案で山菜おこわ弁当を試作し、一度会っていた老人クラブの会長を訪問しました。そして、弁当を気に入ってくれた会長と話すと、老人クラブの会合の話がでました。ふと、どんなものか見てみようと思い、参加を申し入れました。すると、「そこまで言うセ-ルスマンははじめてだ」と喜ばれました。ちなみに、相手によって、総支配人、営業部長などと名刺を使い分けましたが、その時は、肩書きなしの名刺を使いました。


 しかも、老人クラブの会合への参加は大きな収穫をもたらしました。これまで利用したホテルの対応や旅行のありようについての意見や苦情を、いろんな方からたっぷりと聞くことができました。そして、それをもとに、金をかけずに、魅力を与える独自の老人クラブ向けプランを開発できたのです。その結果、100社以上競合の中で、26クラブの慰安旅行を獲得でき、それが、お寺の檀家旅行の獲得にもつながりました。また、ゲ-トボ-ルの親睦試合、お年寄りの夫妻やお孫連れの平日宿泊が増加しました。


4:外部資源の活用で勝負する

  老人クラブの慰安旅行獲得のための具体的な方法ですが、まず、旅行のための貸切バスの改善を試みました。老人クラブの慰安旅行には、札幌市から老人クラブ慰安旅行用のバスが年1回の利用限度で無償提供されていましたが、乗り心地が今イチで少し窮屈で、塗装デザインや内装も旅行気分を損ねるために評判がよくなかったのです。また、年に2回以上の旅行を安く実施したいとの希望もありました。


そこで、たまたまホテルの近くにあった長距離路線バスの中継拠点の所長に長距離路線バスの回送車利用の相談をもちかけました。その拠点と札幌との間で客を乗せない回送車が発生していることを目撃したからです。そのバスは、観光バスほどではありませんが、札幌市のバスよりは乗り心地がよく、ゆったりしておりリクライニングシ-トです。また、そのバス会社は、一度つぶれて、再建途上にあり、売上を上げるのに懸命でした。

 所長は快諾し、回送車を使うため往復に使えるバスは異なりますが、往復8万円でよいとなりました。老人クラブの慰安旅行の人数はクラブによって異なりますが、40~60名の範囲であり、長距離路線バスの定員は60名でした。そこで、40名の場合でも、バス費用は一人あたり2000円ですみます。また、札幌と往復の経路は1~2時間程度余計にかかる範囲内なら自由に設定できることになりました。


そこで、札幌との往復の経路を数種類企画し、その経路上の果樹園造り酒屋などとも折衝し優遇条件を獲得しました。有名な観光果樹園は相手にしてくれませんでしたが、ある中規模の無名の果樹園が、果樹園内での飲料と食材持ち込みでのバ-ベキュウも承諾し、機材も無償利用させてくれることになりました。そこで、果樹園には帰途に立ち寄るように企画し、その飲料や食材は、ホテルの仕入業者から安く売ってもらって、バスに積み込みました。これによる格安で盛大なバ-ベキュウ昼食は、これまで一般的であったホテルで作ったオニギリでの昼食よりはるかに大きな魅力を与えました。


また、思いもしなかったことですが、その果樹園では客が中途半端にもぎ残したブドウなどをバスの出発までにもいでダンボ-ルに入れ無料で渡しました。造り酒屋では気前よく試飲をさせてくれました。バス会社も、回送車が転用できない時は、ふつうの観光バスを動員しました。こういった協力により企画は一層魅力的なものになり、クラブの会長が、帰宅後、感謝の電話をかけてくることもありました。旅行業法に触れないように、バスや果樹園などの利用はすべて老人クラブからの直接発注にしてもらい、リベ-トもとらなかったことが果樹園などに好感され、よいサ-ビスの提供につながったとも思います。


ようは、外部資源を活用して、出発から帰着までのト-タルなパッケ-ジプランを作り、設備の劣勢を旅行全般の内容でカバ-したのです。他に、自前のバスを提供するホテルもありましたが、単なる送迎にとどまっていました。なお、札幌市の老人クラブ慰安旅行用のバスを利用するクラブにも果樹園や造り酒屋などを紹介し、好評をはくしました。


5:他で節約した費用を使ってもらう


老人クラブのなかに、最初から観光バスを利用するクラブがありました。それらのクラブに対しては「まあまあの質のバスが往復8万円で利用可」との提案は、パッケ-ジプランの内容と相まって大きくアピ-ルしました。そして、観光バス利用を前提とした予算との差額は宴会費用に上積みされました。


老人クラブ慰安旅行獲得のためのバスの格安紹介は、他の団体の集客にも威力を発揮し、2章に記したとおり自衛隊の厚生旅行の獲得にも大いに役立ちました。もし、これができなければ厚生旅行を1件獲得するのに何倍もの時間がかかり、受注件数も半分以下にとどまったでしょう。ちなみに、厚生旅行でも、バス料金が安くなったことで浮いた予算は宴会費用に回されました。それは、1人当たり2~4000円になり、宴会料理の内容はぐっとよくなり、ホテルの売上や利益が増えるだけでなく、自衛隊での評判を高め、厚生旅行の獲得を容易にするという好循環が発生しました。


最初から、このような成果まであげることは思いもせず、設備や知名度のハンディを克服するために考えたことです。しかし、結果的に「旅行の総予算に注目し、他のところで使う費用を節約し、それで浮いた費用をホテルで使ってもらう」という戦略を実行したことになったのです。それは、思わぬ成果とアイデアの獲得でした。


6:危険な賭けをする


順調に成果をあげながらも、ひとつの不安を抱えていました。「ホテルが、団体旅行のト-タルプランを企画し実行することは、旅行社の領域を侵し、旅行社を怒らせるのでは」と思ったのです。しかし、老人クラブの慰安旅行は、多くのホテルが直接獲得に走っているのが現実であり、旅行社は老人クラブ向けにチラシを配ってはいるものの、小グル-プ向の2~5泊の格安連泊プランの方に力を入れていました。念のため、懇意な旅行社数社に、バスの格安紹介の件を伏せて意見を聞きましたが、「あれこれ考えなければならなくて大変だね」と同情されるだけでした。


しかし、厚生旅行の獲得のために、自衛隊の部隊にバスの格安紹介をする時は、決断を要しました。2章に記したとおり、バス会社の大口顧客であるS社がそれ知れば、すぐにバスの格安提供は中止されるでしょう。そうなれば、ホテルは、自衛隊だけでなく、老人クラブへの切り札をなくし、窮地に追い込まれます。 

ところが、ここでも幸運が転がり込みました。S社の札幌地区の自衛隊セ-ルスを1人で担当していた若い営業マンと自衛隊内で鉢合わせしたのです。彼は「どうして、うちが押さえていたはずの自衛隊で厚生旅行を次々ととることができるのですか」と、不思議そうな顔で尋ねました。その厚かましい質問の理由を問うと、次の回答がかえってきました。

「厚生旅行を奪われているため、クビになりそうになっている。それは当然と思い、覚悟しているが、どうしてこんなに奪われているのか分からない。せめて、それを知りたい」

 ちなみに、彼はバスの格安紹介の件は知りませんでした。それを提案した部隊の旅行幹事などに「ご内密に」と頼んではいたのですが、それが守られていたのでした。しかし、どこでどうバレルかも知れず、また、誠実で信頼できそうな人柄だったので、彼に誰にも口外しないことを約束してもらい、バスの格安紹介の件も含めて、すべてを話しました。危険すぎる賭けでしたが、人柄から大丈夫と直感したのです。

話しを聞いて彼はがく然としました。そして、私の下で働いて勉強したいと要請しました。もちろん、私から聞いたことは一切口外しないと約束し、バスの格安紹介の発覚と中止という危険が解消されたのです。再建の目処がつけばホテルから去る私は、彼の要請を断りましたが、彼はある航空会社系の旅行社に転職し、20数年後の今では、その会社の役員になっています。


7:統計数字を真に受けないこと


 ホテルに赴任する前に、観光関連の統計資料にざ~つとだけ目を通しました。それは、統計資料の多くが正確ではないことを、以前に経済統計を用いた研究をしていたために知っていたからです。たとえば、GDP(国内総生産)の速報値のわずかの上下をもとに経済動向があれこれ論じられますが、その最終確定値がだされるのは3年先であり、プラスとマイナスが入れ替わることすらありますし、その確定値が正しい保証はありません。


 ところが、運輸省(現、国土交通省)地域別の来訪観光客数の統計にだまされてしまいました。そこでは、ホテルのある地域の観光客数が夏も冬もほぼ同数とされていたのでが、実数との違いは、いくらなんでも半分以内だろうと思い、それだけの観光客が夏もこの地域にきているなら、ちょっと宣伝すれば夏期の宿泊客をかなり増やすことができると判断し、なけなしの資金から宣伝費をかけてしまったのです。


 もし、その統計が正しいなら夏にも観光バスと家族旅行の自家用車が次々とやってくるはずですがパラパラとしかきませんでした。その数字は実際より3、4倍水増しされていると感じました。最近になって、その統計には問題があり見直しが行われているとの記事を見ましたが、改めて「統計数字を真に受けるな」という教訓を得たのでした。


8:10のチャレンジで1のチャンス

  これまで書いてきたのは、タ-ゲットを上手に選び、成功したサクセススト-リです。しかし、そんな選択を最初から思いつくはずがありません。いくら調べても、いや、調れば調べるほど、自衛隊は強力なS社の独壇場であり、老人クラブには多数のライバルが存在し、教職員とデパ-ト・ス-パ-しか残らなかったでしょう。


 それが、以上のような選択になったのは様々な試行錯誤の結果であり、その過程でのいくつもの偶然がもたらしたチャンスの産物です。自衛隊とて、タ-ゲットとしてマ-クはしたものの、地元の旅行業界で聞くのはS社のすごさであり、当然、最初はへっぴり腰であり、メリハリの利いた活動は展開できませんでした。


 ようするに、タ-ゲットを選択し気合いを入れて活動を開始するまでに、かなりの時間と努力が必要だったのです。それは、数多くのタ-ゲット候補にあたり、多くの無駄足を踏むものでした。その時に思ったのは「10のチャレンジをして1のチャンスが得られれば上出来ではないか」ということです。2,3のチャレンジをしてチャンスをえられないことに気落ちするようではだめだったでしょう。そして、私には「建て直しに行きながら、大量の顧客を失うミスをしてホテルをつぶしたバカ」との烙印が押されたでしょう。


「犬も歩けば棒にあたる」と言われますが、棒に当たるためには、「だいたいのあたりをつけ、かなりの距離を歩き、棒に当たらず引き返し、また、別のところへあたりをつけて歩くという行動をスピ-ディに繰り返すしかない」と思います。スピ-ドが必要なのは、時間がかかるほど、支出がかさむ一方で収入がえられず資金不足におちいって、つぶれるからです。よしんば潤沢な資金をもっていても、トロトロしていれば資金は減ってゆき、つぶれます。経営は時間との戦いでもあり、それにはスピ-ドが必要です。


また、もうひとつ痛感したことは、当たり前のことですが「人間一人では何もできないが、会社も一社だけでは何もできない。誠実な会社と信頼関係を築くことと、いい加減な会社との取引を回避することが大事」ということです。特に、危機は自社の能力や努力だけで打開するのが難しい状況でもあり、他の会社や人物の協力が必要です。実際、成功した経営者の回想録を見ても、そういったことが会社の発展に大きく貢献し、また、危機打開の主因となったことがよく記されています。

 

9:戦いは錯誤の連続

 

見込み客の判別がいかにむずかしいかも味わいました。「よさそうなホテルだね。是非、利用させてもらうよ」といった旅行幹事が、「そろそろ決まるかな」と再訪すると、「何の用だ」ととりつくしまもないことがあります。一方で、無愛想で、説明もろくに聞かなかった旅行幹事から、突然、電話で宿泊希望日と人数が伝えられ、空室の有無を尋ねられ、「あります」というと「じゃあ、お願いするよ」となったこともあります。


これは両極端の事例ですが、見込みの判断は、よくはずれました。もし、見込み客を、素早く正確に判断できれば、無駄な時間を大きく減少させ、とてつもない業績をあげたでしょう。見込み客を判断する方法についての本なども読みましたが、そんなに簡単なものではないと思います。それには優れた資質と経験が必要と思います。


また、これまでも紹介したように、良きにつけ悪しきにつけ、思い通りに行ったことはほとんどありません。軍事テキストに、「戦いは錯誤の連続」と記され、錯誤の少ない方に勝利はほほえむ」と説かれているのを見て、「集客もそのとおり」と思いました。


プロイセンの参謀総長であったカ-ル・フォン・クラウゼヴィッツ『戦争論』1832年という本がありました。軍事関係では有名な古典であり、それを紹介した経営論も時たま出版されます。それはナポレオンとの悪戦苦闘の経験をもとにした本ですが、そこに「実際の戦いは、様々な偶然に左右され戦略どおりにはゆかない」といった述懐が記され、「戦略の良し悪しが勝敗に与える影響は3割程度」と記されていました。また、先にも紹介した、彼の弟子であり、見事な戦略でフランスに圧勝したモルトケは、その実績にもかかわらず、クラウゼヴィッツ同様の指摘をし、「必勝の戦略はない」と断言しています。


 戦いは戦略どおりにはゆかないとか、戦略の勝敗への影響は3割だとか、必勝の戦略はないだとか・・・経営戦略論での戦略の能書きとえらく違います。まあ、100年以上も前の論ですが、これらが、今日の軍事にも大きな影響を与えているというのです。そこで、「いったい軍事での戦略とは何だ!」と思い、ある幹部自衛官に「戦略とはなんですか」と尋ねました。すると、次の回答がかえってきました。「戦略とは、将来予想から今やることを決めるものだ。予想と違う状況になれば、ただちに変えてゆかなければならない。まあ、言ってみれば、仮説だ」。

  こう言われて、錯誤の連続にげんなりしていた私は、えらく気分がすっきりしました。そして、「そうか、戦略は仮説だ。はずれて当たり前だ。はずれれば変えればよいのか」と言いました。彼は苦笑いし、「う~ん。まあな。でも、戦略は大事だぞ」と注意しました。


10:教訓


本章で紹介した経験からえた教訓は次のとおりです


①自分の目で見なければ、本当のことはわからない。

②外部資源を活用して魅力を向上せよ。

③総予算に注目し、他の費用を節約して自社に回してもらえ。

 ④時には危険な賭けも必要である。ただし、相手を見誤るな。

⑤統計数字を信用するな。

⑥10のチャレンジをして1のチャンスが得られれば上出来である。

⑦2,3のチャレンジをして、チャンスをえられないことをなげくようではだめだ。

⑧誠実な会社と信頼関係を築き、いい加減な会社との取引を回避せよ。

⑨戦いは錯誤の連続であり、錯誤の少ない方に勝利はほほえむ。

⑩戦いは戦略どおりにはゆかず、必勝の戦略はない。

⑪戦略は、将来予想から今やることを決めるものであり、仮説である。

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4章 多数満足論を追求する

1:キタキツネも活用する


魅力的なパッケ-ジプランやバスの格安紹介は大きな効果を発揮しましたが、ホテル自体が魅力的なサ-ビスを提供することも必要です。ホテルは旅行社ではありませんし、それを利用した顧客が他のホテルに同様のことを要求すれば簡単にまねされます。何よりも、ホテル自体に魅力がないと顧客を積み上げてゆくことは困難です。


しかし、あれこれ考えたり、他のホテルを見て回ったり、旅行社や顧客に相談しても、これといった考えが生まれませんでした。ホテル関係の業界誌を読んでも、配慮の行き届いたサ-ビスの大事さと効果を強調する記事ばかりでした。そのとおりでしょうが、それは一朝一夕にはできることではなく、有名温泉地の老舗に勝てっこありません。

ところが、老人クラブへの売り込みのさい2つのアイデアが生まれました。



                    ・・・・・以下、次号に続く